仕事の出来ないSさん
日本人って、世の中でも相当勤勉で実直な人種です。何てったって義務と言われたらその瞬間に責任感を感じる受容体が遺伝子に組み込まれてますもんね!!
その反対にこの世界には「義務」とか「責任」って言葉が存在しない文化の中で育ってきた種類の人々もいますね。その中でも質が悪いのは「私は仕事が出来る」と思い込んでる輩です。
Sさんも、そんな1人です。
子育てが落ち着いてから近所の小学校で受付や助手みたいな仕事をしながら教員免許をとり、初の担任を経験したものの、1年で契約解除されると言うツワモノ!!でもそれを見事に学校のせいにして(お馴染みの責任転嫁)これまた近所の別の小学校に潜り込み成功!ここでは特殊な生徒のサポートと言うクビになりにくい職種を選び5年ほど努めあげながら、己の子供の通う学校をスポーツコーチとして客員的な仕事もこなしつつ、自分の子供たちが脚光を浴びるべく目を光らせた訳です。
スポーツコーチとしてもまた仕事が出来ない、でも威張り倒すのは得意なので、彼女が担当するクラブはとにかくポンコツ。タイムレースの種目に関しては何と、記録の記載を間違えて決勝に間違った生徒を送り込む始末。
それでも彼女の言い放った言葉は、
「だって、その記録が間違いだなんて誰が確認出来たのよ?」
声を揃えて言ってあげましょう。
「オマエじゃー!!!」
とにかく仕事で忙しいフリをするのが大好きですが、何一つロクにできないので彼女と関わるとその後始末をさせられると言う事で恐れられている存在です。
今年からは何と高校の教員になってしまいました。でも近所の最低レベルの高校なんですけど(笑)。目指す所は「今を生きる」のロビン・ウィリアムスの様な存在らしく、生徒からも毛嫌いされてるのが、分かっていないのが可愛らしいのか可哀想なのか微妙な所です。
私の周りの変わった人々
重い話ばかりでも何ですので、たまに違うトピックも挟んで楽しく行きたいと思います。
海外に住んでいると、現地の人であれ同じ日本人であれ、個性的な人との出逢いが日本より確率がかなり高い様に思います。そんな私の経験談を若干デフォルメして笑い話のネタにしてみます。
今日はその第1弾!!
「全ては周りのせい、私は悪くない!!K君のママ」のお話しです。
このK君とは子供のスポーツで同じチームになり、3年ほどお付き合いが有りましたが、なかなか思い出深いママさんでした。
ショートカットのダークブロンドを靡かせて、スリム(と言うか贅肉が全く無いボーイッシュな身体付き)なママさんは元牧師の旦那と離婚して独りで四人の子供を育てるシンママ。
最初はサバサバしてて付き合い易いかなと思ったのですが、なかなかのくわせ者。
とにかく会えば必ず元旦那の悪口と自分の生活がどれだけ大変かを延々と話す(練習が1時間半なので、毎回ほぼずーっと聞かされました)。全ては元旦那、そして何と縁切りされたと言う己の家族のせい。
大学に行っている長男が自宅に寄り付かないのも全ては元旦那が洗脳してるからなのよ!!(単に大学の授業が忙しいのとガソリン代が無駄だからワザワザ引隠滅滅とした実家に帰ってこないだけ)
・・・知らんがな(笑)。
と言うか、自分の兄弟からは絶縁され、そして元旦那からは三行半、更に息子達からも敬遠されてる時点で己にも問題の原因があるかも、とは何が有っても思わないのがアメリカ人の常識っぽいです。
K君ママも例に漏れず、とにかくぜーんぶ元旦那が悪い。だから試合に元旦那が見に来ても、タバコのポイ捨てしてるから警察呼んでやるわ!!とかそんな事ばかり言って(マジで警察呼んで大喧嘩してた)肝心の息子の活躍にはあまり興味無い。でも息子が失敗したら、チームから離れた場所で
「貴方は悪くないのよ。今日と言う日が悪かったのよ、ほら父親と言うネガティブな気を持ち込む輩も来てるしね。」
とかやってるから、コーチやチームメイトからは浮きまくっていました。
K君は地元で有名なアート系の進学校に中学で合格したものの、家庭環境がこんな感じで落ち着かず成績ガタ落ちで結局は付いていけず退学勧告を受けて、近所の一般校に転校しました。
もちろん、これも「元旦那が息子に精神的に悪影響を及ぼしたが為の結果」なんだって。
K君はしばらくはスポーツからも遠ざかっていましたが、またこの秋から復活するとかで、私としては練習や試合でバッタリ逢わない事を祈るばかり!!
最新情報としては元旦那さん、とても肉惑的な恋人とそろそろ再婚するそう。親権は半々なのでまたもやひと騒ぎしそうかな。K君は今思春期真っ最中ですからね。ムチムチボディの継母さんともひと悶着しそうだなぁと思わずにはおれません。
子供時代のお稽古ごと
末っ子に産まれた私には母の「最後の子育て」と言う気合いが満ち満ちていた様です。
とにかく上の子供たちで上手く行かなかった事は全て私で成功させたいと言う想いが熱かったと子供ながらに感じましたね。
定番のピアノはヤマハから始まり本格的なクラシックピアノの有名な先生に当時としては相当なお月謝を払って習っていました。
体操とスイミングは前回も書いた様にピアノを本格的に始動するまでは兄弟姉妹全員でバスで通う楽しいイベントでした。
公文式、お習字(硬筆)もやってたっけ。
その後、中学受験の為に学習塾に通い始め、ピアノ以外は全て辞めさせられ、ピアノも受験に専念する為に辞める事となります。
無事合格した後は身体の為にと週末のみスイミングを再開し、それが私のガス抜きになっていたかな。
お稽古を一生懸命して母に褒められるのが何よりの幸せと思っていたのが私の小学校時代かもしれません。でも小4の頃からピアノと塾しか無い、それが苦痛でたまりませんでした。
学校の放課後に友だちと遊べる日が1日も無く、帰宅してすぐにピアノの練習と塾通い。
この頃から精神的なストレスが溜まって来ていたように思います。
母の美味しい食事が楽しみなのは変わらずでした。
幼少期は普通体型
末っ子として産まれて好き嫌いが多かったらしい私。
好きな物はプロセスフード、いわゆるハムやソーセージ、そして竹輪や蒲鉾と言ったもの。
とにかく食べるのが遅くて母はいつも困ってたらしいです。
母はとても料理が上手な人で、幼い頃に冷凍食品を食べた記憶は全く無いし、インスタント物も殆ど記憶にありません。
但し、幼稚園の頃に某カップ麺メーカーのモニターのバイトをした母の為にカップ麺をやたら食べた時期はありました。
父はとにかく企業戦士で忙しく、たま~に自転車の後ろに乗せて貰って遠くのタコ焼き屋さんに買いに連れて行って貰うのが楽しみでした。
運動はその頃の流行りで、体操とスイミングをやってたなぁ。でも、ピアノに重きを置きたい母の考えで、運動は小学校半ばには辞めさせられていました。
スイミングが大好きだった私には寂しい事でした。でも中学からまた再開してそれが成長期と見事に重なってスリムになった黄金期をもたらします。
単身赴任で母子家庭の様な我が家の生活の中で一番楽しみなのは母の美味しい手料理を食べる事だった様に思います。でもこの頃は爆食もし無いし、ゆっくりしか食べないから少ししか食べない子供でした。
でも、身長がとにかく低くて親類縁者そして近所の人から尽く「小さい」と言われ母の最大の悩みでもあったそうです。
「背が低い」「食べるのが遅い」「お喋り好き」のが私の幼少期の最大の形容詞かな。
長い長い悩み
このブログは私の人生の半分以上を苦しめてきた病気、「食べ物中毒」に関しての見解とその原因を探る、あくまでも個人的なブログです。
まぁ端的に言えば、意思が弱くて自己を律する事が出来ないのが最大の理由なんですけどね。
精神的な面の原因が少しでも分かれば助けになるかなぁと思いまして、ボチボチやって行こうかなと思っています。